和歌山地方裁判所 昭和41年(わ)223号 判決 1971年4月26日
被告人 松田正
昭四・三・二五生 国鉄労働組合役員(元国鉄職員)
間谷昭治
昭二・二・一生 国鉄職員
主文
被告人らは、いずれも無罪。
理由
第一、本件公訴事実
本件公訴事実は、「被告人松田正は、国鉄労働組合(以下国労という。)南近畿地方本部副執行委員長、被告人間谷昭治は同地方本部執行委員であるが、国労が昭和四一年四月二六日に実施した闘争に際し、列車の運行を阻止しようと企て
(一) 被告人松田は、
(1) 国労組合員約七〇〇名と共謀のうえ、同日午前三時五〇分ごろから和歌山市友田町五丁目一七番地所在の東和歌山駅(現在和歌山駅と改称されている。以下同じ。)六七号ポイント北方の紀勢一番線軌道内に多数で立ち並ぶとともに、同日午前四時ごろ、鳳電車区東和歌山支区勤務運転士阪克美が、同駅紀勢二番線に留置されていた電気機関車(EF五二七号)を運転し、すでに同駅紀勢一番線に到着していた同駅午前四時二分発車予定の名古屋発天王寺行第九二一列車(夜行普通列車)に連結しようとして前進をはじめるや、その前方線路上に多数で立ち塞がり、次いで同日午前四時一九分ごろ、同機関士がようやく連結編成を終えた右列車を運転して同駅を発車しようとした際にも、引き続きその前方線路上に多数で立ち塞がつて、同日午前四時三六分ごろまで右列車の進行を阻止し、
(2) 国労組合員約四〇〇名と共謀のうえ、同日午前五時前ごろ、同駅五九のイ号ポイント北方の阪和上り線軌道内に多数で立ち並ぶとともに、鳳電車区東和歌山支区勤務運転士寺本光雄が同駅午前五時発車予定の天王寺行第二〇二電車(直行)を運転して定刻に発車しようとした際にも、同電車の前方線路上に多数で立ち塞がるなどして、同日午前五時二九分ごろまで右電車の進行を阻止し、
(二) 被告人間谷は、国労組合員約三〇〇名と共謀のうえ、同日午前三時三五分ごろから、和歌山市新在家一七七番地の一所在の和歌山駅(現在紀和駅と改称されている。以下同じ。)第一信号扱所前の出区線軌道内に立ち入って多数で坐り込むとともに、和歌山機関区勤務の機関士崎山義行が同日午前三時三八分発車予定の東和歌山行第六一五三列車(機関車)を運転して右信号扱所前の出区線から定刻に発車しようとした際にも、その前方線路上にそのまま多数で坐り込みを続け、または立ち塞がるなどして、同日午前四時五六分ごろまで右列車の進行を阻止し、
もつてそれぞれ多衆の威力を用いて日本国有鉄道(以下国鉄又は当局という。)の列車運行業務を妨害したものである。」というのである。
第二、当裁判所の認定した事実
(一) 国労の組織
国労は国鉄職員の大多数をもつて組織された労働組合(現在組合員数は約二八万名である。)であつて、中央本部を頂点としてその下に各地方鉄道管理局に対応する二七の地方本部を設け更にその下に順次支部、分会並びに班を設けているが、その最高議決機関として全国大会および中央委員会がその執行機関として中央執行委員会および各下部組織の委員会がある。そして国労南近畿地方本部(以下南近畿地本又は単に地本と略称する。)は天王寺鉄道管理局に対応する国労の組織であつて、現在同局管内に勤務する国鉄職員のうち約九、三〇〇名(本件発生当時は約九、一〇〇名)がこれに所属している。
(二) 被告人らの国労における地位
本件の発生した昭和四一年四月当時、被告人松田は南近畿地本の副執行委員長、被告人間谷は同地本の執行委員の各地位にあつたものである。
(三) 本件争議行為に至る経緯
(1) 国鉄と国労との中央交渉並びに国労のストライキ指令
国労は、昭和四〇年一一月ごろ国鉄労働者の賃金を総額八、七〇〇円引上げられたい旨の要求を文書で国鉄当局に提示し、その後約八回に亘り中央で団体交渉が重ねられたがまとまらず、翌四一年二月二六日公共企業体等労働委員会に調停申請するに至つた。しかし国鉄当局の回答が満足すべきものではなかつたため右調停の進行状況は思わしくなかつた。
それより先の同年二月一日頃国労は第七三回中央委員会を開催し、そこにおいて昭和四一年度のいわゆる春闘の方針の骨子を決めたが、従来の闘争方式と異なる特徴の一つは組合員各自が自分自身の問題として要求貫徹まで自ら同盟罷業(以下ストライキ又はストという。)に参加するのだという意思の確認のため、予め全組合員にストライキ参加の決意表明を書面で求めておくといういわゆる「自主参加方式」というものを採用したことであつた。
そして同年四月四日開催の第七四回臨時中央委員会において、国労は「同年四月下旬頃に交通運輸労働組合共闘会議並びにいわゆる公労協と共に、賃上げ要求の経済闘争を主たる目的として統一ストライキを行う。ストライキは半日ストライキとし、その参加は「自主参加方式」とする。ストの拠点は線区および地域を含む広い範囲で検討したうえ準備する。」などとの旨ストの大綱を決定したうえ、指令第二四号を各地方本部に発して「昭和四一年四月二六日および三〇日別に指示した地方本部は指定された地域において半日ストライキを決行せよ」との旨指示した。
(2) 南近畿地本における対策
右本部指令第二四号を受けた南近畿地本では直ちに支部、分会長会議等を開いて検討した結果、右同趣旨の地本指令第一六号を各支部、分会に発して、ストの準備体制をとらせると共に、戦術委員会並びに闘争委員会を開いて具体的なストライキの方針について更に検討を加えた。
そして同地本は昭和四一年四月二〇日頃開かれた闘争委員会において、(イ)同月二六日阪和線の鳳電車区を闘争拠点として始発から四時間乗務員を中心として半日ストライキを行う(以下「四・二六ストライキ」又は「本件ストライキ」という)こと、(ロ)ストライキの参加は自主参加方式とし整然と行うこと、(ハ)当局などの妨害の監視およびスト激励等のため電車区以外の組合員を所定の場所に動員することなどを決めたうえ、同電車区の本区(鳳。ここに現地闘争本部を置く。)、支区(東和歌山)および派出所(天王寺)等に対する派遣闘争委員の人選をなし、東和歌山支区には地本副執行委員長の被告人松田を最高責任者として、地本執行委員の被告人間谷および同執行委員山路昭の派遣を決定し、現地での具体的な行動については、前記基本方針の範囲内で派遣闘争委員の判断に委されることになつていた。
(3) 和歌山地区における経過
和歌山地区における最高責任者になつた被告人松田は、翌四月二一日ころ和歌山市元寺町所在の今西酒屋において中央執行委員木村友秋も加えて、地本和歌山支部委員長北浦治男、地本特別執行委員兼同支部書記長牛河春雄および前記山路らと四・二六ストライキの進め方などについて打合わせをなし、(イ)東和歌山電車支区の乗務員を「自主参加方式」でストライキに参加させること、(ロ)電車支区以外の組合員に対しても右乗務員激励のため自主参加を呼びかけ動員すること、(ハ)当局の力を分散させるために東和歌山駅だけでなく和歌山駅第一信号扱所(以下「一信」と略称する。)でも動員態勢をとること、(ニ)県地評に対しスト支援のため一、〇〇〇名程度の部外動員を要請することなどを決定指示したが、その席上特に東和歌山駅午前四時二分発第九二一夜行列車(名古屋発、天王寺行)をどのように取り扱うべきかについて論議が集中した。
本部指令のストライキの時間帯が前記の通り始発から四時間ということなので、右夜行が始発に該当するか否かも問題とされたが、木村中央執行委員は右時間帯を重視し夜行をストライキの対象にすべきであると強硬に主張した。これに対し被告人松田は夜行をストの対象にすれば乗客対策を講じる必要があるなど影響が大きいうえ、警察の介入も予想されるので簡単には決められないという消極的な意見を述べ、木村以外の役員も慎重論であつたので結局その席では結論に達しなかつた。
被告人松田は同日右打合わせを終えた後右北浦和歌山支部委員長と共に和歌山県警本部と和歌山東警察署を訪ね、本件ストの実施を予告し、且つ「本件ストは経済闘争だから警察は介入しないでもらいたい。」などとの旨申し入れ理解と協力を要請した。
(4) 本件ストライキ直前の動向
被告人両名および前記山路、北浦、牛河の五名は同年四月二四日夜和歌山市和歌浦所在の木村屋旅館に集まり乗務員獲得の方法や各自の分担につき最終的な打合わせを行い、(イ)被告人松田と北浦は東和歌山駅構内にある電車支区事務所において、勤務前後の乗務員の説得にあたり、被告人間谷と山路および牛河はホームにおいて乗務終了後の乗務員の説得にあたること、(ロ)国鉄当局のストライキへの不当介入を牽制し、且つ当局の勢力を分散させるために被告人間谷は前記一信へ行きそこの責任者として和歌山機関区分会並びに同電気区分会所属の組合員を指揮することなど本件ストライキの具体的戦術を決定した。
そして右任務分担通り翌四月二五日早朝から被告人松田は東和歌山駅構内の電車支区の運転助役室(支区長室ともいう。)に詰め、乗務員が乗務前後に右室にいる当直助役等の点呼を受けに来る際当局側に説得されないよう当局側の牽制に当り、一方被告人間谷は前記山路や牛河らと共に東和歌山駅のホーム等において乗務を終えて戻つてくる乗務員の獲得に奔走した。
ところで鳳電車区東和歌山支区所属の組合員は全部で五五名いるが、前記自主参加方式の指令のもとに同年四月二〇日頃までにストライキ参加決意表明書の署名を終えていたところ、被告人らは翌四月二六日午前一時ごろまでに右組合員のうち五二名を前記木村屋旅館へ連れて行きこれらを組合の統制下におくことに成功した。ただ兼務助役(運転士兼助役で組合員資格を有する。)の市川秀幸、同刀谷大二および同堀幸次の三名は獲得することができなかつた。
前記の通り四月二五日の早朝から支区長室に詰めていた被告人松田および北浦は、当日勤務の右市川兼務助役が午前一一時頃同室からいなくなつたのに気付き、直ちに支区長の高崎盛登に右市川の所在を尋ねたところ、あいまいな返答をするのみであつたので更に厳しく追及すると同日午後三時頃になつて市川を鳳電車区の本区に業務連絡に行かせたが午後五時までに戻つてくるかどうかはわからないという返答をした。これに対し被告人松田らは日勤勤務であるはずの市川がなぜ戻つて来ないのか、労働基準法ないし労使間の協定に違反しているではないかなどと筋道たてて問い正したところ、右高崎支区長は最初は市川に超過勤務を命じてあるのだとか日勤勤務を一昼夜交替の勤務に変更してあるのだとか答えていたが午後四時頃になつて、午後五時までに連絡をとつて市川を引き返らせる旨約束した。ところが午後五時になつても市川は戻つてこないので被告人松田らは同支区長に重ねて市川の所在を追及したが、交渉の都度言を左右にしてらちがあかず、午後九時頃には、かねての動員指令により集つてきていた一般組合員も右市川の所在不明を知るに至り、当局の態度に憤慨し被告人松田らの抗議に一緒に加わつた。そして支区長では話にならないということで同日午後一〇時ごろからは天王寺鉄道管理局の加藤労働係長を呼んで、市川の所在不明問題についての今までの経緯や当局側の態度(以下これらを単に「市川問題」という。)について抗議を申入れると共に、市川の行方およびその間の経緯について翌四月二六日午前〇時までに明らかにするよう要求し、右加藤もこれを了承したので午後一一時半ごろ一旦交渉を打切つた。
ところで国鉄当局は本件ストライキ対策の一つとして、ストに際しての代替要員確保のため、同年四月二五日公休日の予定であつた市川を日勤に振り替えて勤務させていたが、同日午前一一時ごろ、組合側に市川を取られると困ると思つて別段所用もないのに鳳電車区の本区へ出張名目で業務命令を出して行かせていた。
(四) 本件争議行為の内容
(1) 東和歌山駅における状況(被告人松田関係)
東和歌山駅(前記の通り現在の和歌山駅である。)は和歌山市友田町五丁目一七番地に所在する国鉄の駅で紀勢本線の主要駅であると共に阪和線の始発駅である。
(イ) 第九二一夜行列車関係
名古屋発天王寺行第九二一夜行列車(以下「九二一夜行列車」という。)は午前三時五六分東和歌山駅紀勢一番線に到着する予定で、同駅においてジーゼル機関車(以下「着機」という。)を解放し、紀勢二番線に待機中の電気機関車(以下「発機」という。)と取り替えたうえ鳳電車区所属の電気機関士が乗務して午前四時二分同駅を発車することになつていたが、右機関車の取り替えには紀勢下り九番ホームの北端より約四〇メートル程北方にある六七号ポイントを利用する必要があつた。
同年四月二六日午前二時ごろかねての動員指令に基づき国労南近畿地本和歌山支部所属の別紙組合員目録(一)記載の大谷隆らを含む組合員約七〇〇名が阪和線ホームの北方に位置する電車区支区前に集つて来た。被告人松田は右組合員を集めて集会を開き辻原代議士や県会議員らから激励の挨拶を受けたが、自らも中央での賃上げ交渉の情勢や乗務員の獲得状況などにつき報告をしたうえ、自分が責任者だからこれからは自分の指示に従つて統制ある行動をとつてもらいたい旨要請して、その付近で待機させた。
ところでそのころになつても組合側の厳しい追及にもかかわらず当局は市川の所在を明らかにせず、又一昼夜交替勤務で当日勤務しているはずの堀兼務助役、および当日非番であつた刀谷兼務助役の行方もわからず、結局前記の通り鳳電車区東和歌山支区の乗務員五五名中右三名の兼務助役は遂に組合の統制下に入れることができなかつた。
被告人松田は前記電車区支区前での集会の途中である同日(二六日)午前二時半ごろ、組合役員の前記北浦、牛河、山路の三名と共に、大谷隆(東和歌山駅連区分会長)以下の分会長らを同支区の北よりにある検修室に集めて分会長会議を開き、その席上「市川問題の経緯からみて九二一夜行列車に市川が乗る可能性が強い。従つて右夜行をストライキの対象にしてこれから行動を起こすからその際は組合役員の指示に従い分会毎に統制のとれた行動をとつてもらいたい」旨指示した。
当局は、本件ストに備え、スト前日の四月二五日午後九時半ごろ鳳電車区東和歌山支区の助役阪克美に対し電気機関士兼務を命ずる旨の辞令を出し、もし乗務員が組合側について乗務を拒否する場合は右夜行に乗るよう指示していた。そこで阪は翌四月二六日午前三時一〇分ごろ奈良運転所助役の南城正一と共に紀勢二番線に留置中の電気機関車(発機)に乗り込み、機関車の点検整備をしたりして右夜行の到着を待つていた。
被告人松田および前記北浦、山路、牛河は午前三時半ごろ支区前にいた組合員らに「紀勢線の方へ移動してくれ」と携帯マイクや口頭で呼びかけて同人らを紀勢一番線の方へ移動させた。別紙組合員目録(一)記載の大谷隆らを含む約七〇〇名位の前記組合員は午前三時五〇分ごろ右被告人松田ら四名の役員の指示に従い前記六七号ポイント付近を先頭にして同所より北方へ四、五列縦隊で紀勢下り線(九二一夜行列車の進行線である。)線路上に南を向いて立ち並んだ(以下これらをピケ隊という。)。
右組合員らの線路内立入を知つた国鉄当局は直ちに放送で退去要求をなすと共に、右ピケ隊の先頭付近にいた被告人松田に対し、現地対策本部長であつた和歌山駐在運輸長中場力一郎は口頭で、東和歌山駅長田中繁雄は、退去の申入書を手渡してそれぞれ線路外へ退去するよう要求したが被告人松田はこれには従わなかつた。
九二一夜行列車は同日午前三時五六分定刻に東和歌山駅紀勢一番線に到着し、直ちにジーゼル機関車(着機)を開放して六七号ポイントを通つて北方へ向かつたが、その際被告人松田は「着機は通せ」とピケ隊に指示して線路を一時あけさせてこれを通過させた。
ところで紀勢二番線に留置中の電気機関車(発機)に乗つて夜行列車に連結すべく待機していた阪助役は、午前四時二分ごろ同所を発車して六七号ポイントの方へ向かつて進行したが同ポイント付近より北方の線路上に前記の通り多数のピケ隊がいたため進行できずその手前で停車した。そこで当局側は管理職員並びに公安職員約五〇名位で同ポイント付近のピケ隊員を北の方へ押して線路をあけさせて漸くポイントの切り替えをして発機を夜行列車に連結することができ、定刻より一七分遅れて午前四時一九分に発車した。しかし六七号ポイント付近で再びピケ隊に阻止されたので当局側は警告文を掲示するなどして退去を要求したが聞き入れないので前記公安職員らがピケ隊を押し出しにかかつた。
この頃に至つて被告人松田は、時間の経過等その場の情勢をみてそろそろ退去の時期だと判断し、六七号ポイントの北方約二七〇メートルの所にある北第一踏切から退去さすべく、手で合図をしたり口頭で指示をしてピケ隊員を同踏切の外や線路の東側に退去させたので漸く線路が開通した。ところが同踏切付近に部外の支援労働組合員がいてこれらの者が同所より北方約一二五メートル先の北第二踏切に向かつて線路伝いにゆつくりと歩行していたため、結局九二一夜行列車が北第二踏切を通過できたのは同日午前四時三六分ごろで、紀伊中之島駅通過は定刻より約三四分遅延していた。
なお右夜行列車には当時一、二等合わせて約一三五名の乗客が乗つていた。
(ロ) 第二〇二M始発電車関係
第二〇二M電車は、東和歌山駅を午前五時に発車する天王寺行始発電車(以下「二〇二始発電車」という。)であつて、通常は同駅構内にある電車区の車庫から午前四時五〇分ごろ出庫してきて阪和三番線に入りそこから発車することになつていた。
被告人松田ら組合役員は、前記夜行列車の通過後組合員に対して電車区支区前に引き返すよう指示したが、組合員の中には、当局側のスト破り的な行動並びに夜行列車を簡単に通過させたとして組合役員の態度などに憤慨して口々に不満を唱えるものもあつた。
被告人松田は、支区前に引き返した後、直ちに前記北浦、山路、牛河の三名の役員を同支区の北隣りにある検修室に集めて善後策を相談すると共に、夜行には市川でなく非組合員が乗つていたらしいが、二〇二始発電車には所在がわからず組合の統制下に入つてない兼務助役の堀又は刀谷が乗務する可能性が強いとして右電車の取扱いについて協議していたそのさなかに「始発電車が出るといつて皆騒いでいるがどうするんだ」と言つてきた組合員があつた。
この時に至つて被告人松田らは右始発電車に対して再度行動を起こすことを決定し、支区前に集結していた組合員に対し「阪和線の方へ移動してくれ」との旨指示した。右指示を受けた別紙組合員目録(一)記載の大谷隆らを含む(但し土本浩を除く。)約四〇〇名の組合員(夜行列車の際に集結した前記約七〇〇名位の組合員のうち帰宅した者などを除く一部である。)は同日午前四時五〇分ごろ阪和線ホームの北端より北方約五〇メートル程離れた所にある第五九号(イ)号ポイント付近を先頭にして同所より北方へ約四列縦隊で阪和線(二〇二始発電車の進行線である。)線路上に南を向いて立ち並んだ(以下これらをピケ隊という。)。
国鉄当局は右組合員らの線路内立入を知り、現地対策副本部長であつた機関車課長大塚重信並びに労働係長加藤義夫などが直ちに右ピケ隊の先頭付近にいた被告人松田に対し退去を要求したが、同被告人は市川問題の解決を強く求め、右退去の要求には応じなかつた。
ところで当局は本件ストに備え、スト前日の四月二五日鳳電車区東和歌山支区の技術助役寺本光雄に対し電車運転士兼務を命ずる旨の辞令を出し、もし乗務員が組合側について乗務を拒否する場合は右始発電車に乗るように指示していた。そこで寺本は翌四月二六日午前四時四〇分過ぎに阪和二番線に留置中の電車(前記の通り通常は車庫から出庫させた電車を使用することになつているが前記ピケ隊による妨害を避けるため急遽右の通り変更されたものである。)に乗り込み、出庫点検を済ませ同日午前五時定刻に同所を発車したが、進路前方の線路上に前記ピケ隊がいたため、前記五九号(イ)号ポイントのやや南よりにある六一号ポイント上で停車した。
そのため当局側は、携帯マイクで警告したり、警告文を掲示したりなどしてピケ隊に退去を要求したうえ当局の管理職員並びに公安職員ら約五〇名位でピケ隊の先頭部分を押しにかかり線路の一部をあけさせて約三〇メートル位電車を進行させたがその余のピケ隊員が退去しないので更にピケ隊を前の方から押して実力排除にかかつた。その際一時ピケ隊の先頭部分がいわゆる渦巻デモのようになつたり組合員の中に公安職員に殴られたというものがあつて緊迫した情勢になつたこともあつたが、それもまもなくおさまつた。
その頃当局側の要請により現場近くに出動していた制服の警官隊約一五〇名がピケ隊の西側に近ずき整列したが、この時に至つて被告人松田は警官隊がまもなく実力行使をするものと察知し、退去の時期だと判断して直ちに手で合図をしたり口頭で指示をしてピケ隊員を線路の東側へ退去させた。
従つて漸く線路は開通したが結局右二〇二始発電車は紀伊中之島駅に定刻より約二九分遅れて到着した。
なお右電車には東和歌山駅発車当時約一〇名の乗客が乗つていた。
(2) 「一信」における状況(被告人間谷関係)
「一信」(前記の通り和歌山駅第一信号扱所の略称である。)は、和歌山市新在家一七七の一に所在し、東和歌山駅の北東約一、一五〇メートル、紀伊中之島駅の東方約五五〇メートルのところに位置するものであつて、和歌山機関区を出区する機関車が和歌山駅(前記の通り現在の紀和駅である。)方面と東和歌山駅方面に分れる分岐点になつている。従つてもしここでピケツトなどを張られると出区並びに入区の機関車は全て阻止されてしまうことになる。これを知つていた被告人らは当局の力を分散させ且つこれを牽制する目的で前記の通り右「一信」を本件闘争の重要拠点として決定していた。
被告人間谷は四月二五日午後七時ごろまで前記の通り東和歌山駅で乗務員の説得活動をしていたが一旦南近畿地本へ帰り、午後一〇時ごろ被告人松田に電話をしてその後の情勢の変化および今後の行動の方針について尋ねた。その際前記木村屋旅館で決めた任務分担並びに方針が確認されたが、結局「一信」での行動の意義および目的は(イ)本件四・二六ストは電車区の乗務員を中心とするものであるが、他の組合員も出動集結してスト参加の乗務員を激励支援すること、(ロ)その後の情勢如何によつては気動車や機関車の乗務員の説得活動を行うこと、(ハ)示威行動を行うことにより当局が不当な行為を行うことを牽制し且つその勢力を一部「一信」に向けさせて分散するといういわゆる陽動作戦を行うことなどにあつた。
翌四月二六日午前一時半ごろ「一信」に到着した被告人間谷は、かねての動員指令により既に「一信」前の安全側線の北側の空地に集結していた国労南近畿地本和歌山支部(同支部のうち機関区分会および電気区分会)所属の別紙組合員目録(二)記載の児玉辰雄らを含む組合員約三〇〇名を集めて午前二時ごろから三時ごろまで集会を開き、田中織之進代議士や村上六三県会議員らから激励の挨拶を受けた後自らも中央の情勢や乗務員の獲得状況などにつき報告をしたがその際「当局の力を分散させるための陽動作戦としてここに集まつてもらつたが情勢如何によつてはここに集まつてもらつた者もストライキに協力してもらうようになるかもしれない。私が責任者だからこれからの行動は私の指示に従つてもらいたい。」との旨指示してその場に待機させた。
ところで国労の事前の支援要請に基づき、和歌山地方労働組合評議会事務局長川口一男は同日午前一時半ごろ和教組、日本ハム、田辺運送などの部外の労組員を率いて「一信」の西方約五三メートルの所にある水道道踏切に到着し、同踏切西側の線路の北側に坐らせて待機させていた。
被告人間谷は、待機中の国労組合員から「これから何をするんや」とか「朝までこんな状態でほつとくのか」などと苦情が出だしたので、午前三時ごろ被告人松田に電話をかけ中央や東和歌山の情勢と今後の具体的な行動の方針などを尋ねたところ、「東和歌山では当局の労働運動を真向から否定するような行動があるのでこれから抗議行動を起こし動員者を動かすことになる。その際に和歌山機関区の方から機関車が短絡線を通つて東和歌山駅の方へ入つてくると危険だから「一信」で出区の機関車乗務員の説得をしてくれ。説得するためには多少線路に入つて列車を止めるようなことがあつてもやむをえんだろう。」などとの旨の情報指示に接した。被告人間谷はこれを必要があれば組合員を線路の中に入れて機関車を止めたうえで説得せよと指示されたものと理解し、和歌山機関区分会長の児玉辰雄に右同趣旨のことを伝えた後午前三時半ごろ前記の待機していた組合員らに対し「入区については乗務員の激励をして受け入れるが、出区については乗務員の説得をするから自分の指示通りに動いてもらいたい。」との旨指示し、まもなく午前三時三四分に入区の機関車が和歌山機関区に向かつてきたが、これは激励して「一信」を通過させた。
ところで右入区の機関車が入つてきたころ既に「一信」前の出区線上の出発所定位置(一旦停止標識のある位置)には、和歌山機関区勤務の機関士崎山義行(国労組合員である。)が午前三時三八分「一信」発車予定の東和歌山行第六一五三列車(単機。以下「六一五三列車」という。)に乗り込み待機していた。
被告人間谷は入区を見送つてすぐに右六一五三列車が出発所定位置に止まつていることに気がつき発車時間が迫つているものと察知した。この時に至つて同被告人はこのまま発車されてしまつては乗務員説得の機会も失われるものと判断し、まず組合員を進行線路上に入れて同列車の発車を阻止しようと決意した。
そこで被告人間谷は前記「一信」前の安全側線の北側に集結していた別紙組合員目録(二)記載の児玉辰雄らを含む約三〇〇名の組合員に「これから出区の乗務員の説得に行くから自分について来てくれ」との旨指示して、自ら先頭になつて三、四列縦隊のまま同人らを東進させた。
同組合員らは午前三時三五分ごろ右六一五三列車の前方約三〇メートル付近を先頭にして出区線の線路内に立ち入り(以下これらをピケ隊という。)同被告人の指示のもとにその場で待機したが、中には坐り込む者もいた。
ところで右列車の機関士崎山義行は「一信」の信号掛井上龍一から通票(「タブレツト」ともいう。)を受取り定刻の午前三時三八分出発しようとして汽笛を数声鳴らしたが前方のピケ隊が退去せず発車できないため右井上信号掛にピケ隊の撤去方を頼んだ。しかし、その後も退去の気配はみられず、五、六分程経つてから右井上が後記石垣助役の命を受けて右通票の回収に来たので返した。
一方前記ピケ隊の線路内立入りを知つた当局側は「一信」の拡声器を通じて退去の要求をすると共に午前三時四〇分ごろと午前四時一五分ごろの二回にわたり、和歌山駅首席助役越水守および両駅輸送総轄助役石垣利夫がピケ隊の先頭付近にいた被告人間谷のところへ赴き、同人に対し退去申入書を読み上げたうえこれを手渡そうとしたが他の組合員に手で払いのけられたりなどして同被告人の手には渡らなかつた。
前記の通り組合員が線路内に立入つてまもなく警察が線路脇などからフラツシユをたいて写真撮影をしたがその直後県会議員村上六三、衆議院議員田中織之進、和歌山市会議員田中肥美男らの議員団が私服警察官の所へ走り寄り「警察が労働争議へ介入するとは何ごとか。誰が警察を要請したのか。県警本部長を呼べ。」などとの旨ピケ隊前方の右機関車付近で激しく抗議を始めた。
右議員団と警察の交渉が長びき出区の時間も相当に過ぎたので、被告人間谷は、このまま右列車の発車阻止をしていることにつき憂慮すべきことになると思いながらも議員団が威勢よく警察に抗議している最中であるし又前記の通り川口一男の率いる支援団体が近くで成り行きを見ている状況なので、簡単にピケ隊を退去させてしまつては後から自分が弱腰だとして非難されないだろうかと複雑な思いでいるうち午前四時ごろ機関区分会長児玉辰雄から「早々に連絡をとつて対処すべきでないか」との注意を受けたので伝令の組合員を介して被告人松田の指示を仰いだところ、仕方がないから成り行きをしばらく見ておれとの返事だつたのでそのまま事態の成り行きを見守つていたところ、午前四時二八分ごろ公安職員から退去の警告を受け、午前四時三五分ごろから五名の公安職員によりピケ隊を押し出しにかかつたが少人数であつたため実力排除の効果はなかつた。
そうこうするうち午前四時四〇分ごろ国鉄当局の要請により出動していた制服警官約一〇〇名がピケ隊の南側に整列して実力排除に着手した。
この時に至つて被告人間谷は退去の時期だと判断し、直ちに退去の指示をしてピケ隊を出区線路の北側に一斉に出した。従つて午前五時前漸く右線路が開通し、前記六一五三列車は(後発の六一五五列車を連結して重連で)約一時間二〇分遅れて一信を発車した。
ところが前記川口一男の率いる支援の労働組合員約三〇〇名が前記水道道踏切の西方の線路(右列車の進行線である。)上に立ち入り坐り込んでいたため右列車は再び右踏切の手前で停車した。警察当局から退去の警告を受けた右支援の組合員らは、右「一信」と東和歌山駅とを結ぶ短絡線路上を歩いて同踏切の西方約三〇〇メートルのところにある第一たかの踏切から退去し、午前五時半頃漸く右列車は同所を通過し東和歌山駅へ向かつた。
なお右六一五三列車は予定では午前三時四二分に東和歌山駅に到着し、同駅午前四時一〇分発紀伊田辺行第一三六八貨物列車の牽引機関車になるものであつたが、右国労組合員並びに支援組合員らの二つのピケツテイングのため東和歌山駅到着は定刻より約一時間五〇分程遅れ、それに伴い右紀伊田辺行貨物列車も同駅発車が約九七分遅延した。
以上の事実は左記の証拠(略)を総合してこれを認める。
第三、本件争議行為に対する当裁判所の判断
(一) 本件の事実関係は前記認定の通りであつて本件公訴事実は概ねこれを認めることができる。すなわち被告人らが多数の組合員を指揮し、列車等の進行線路上に立ち塞がらせるなどの各ピケツテイング行為をなして(以下これらの行為を単に「本件各ピケ行為」という。)それぞれ右列車等の発進を妨害した事実は関係各証拠により認め得るところである。そして被告人らの右各所為が人の自由意思を制圧するような勢力を示したとする刑法二三四条にいう威力にあたること、右威力の行使のため列車等の運行という国鉄の業務が妨害されたことは疑いがないから、従つて被告人らの本件各ピケ行為は同条の威力業務妨害罪の構成要件に一応該当するものといえる。
(二) 弁護人らは、公共企業体等労働関係法(以下公労法という。)一七条一項は憲法二八条および三一条に違反し無効であると主張するが、右公労法一七条一項が憲法二八条および三一条のいずれにも違反するものでないことについては既に最高裁判所の判例とされているところであり(昭和三九年(あ)第二九六号同四一年一〇月二六日大法廷判決、刑集二〇巻八号九〇一頁)、当裁判所も右判例と同一の見解であるので弁護人らの右主張は採用することができない。
(三) 被告人ら両名の本件各ピケ行為の正当性等について
被告人らの本件各ピケ行為が本件争議行為の一環としてなされたものであることは前記認定の事実経過に照らし明白であるところ、公労法一七条一項に違反してなされた争議行為にも、それが労働組合法(以下労組法という。)一条一項の目的のためであり、正当性の限界をこえないかぎり同条二項が適用されることは前記最高裁判所の判例において明らかにされているところである。
そこで本件各ピケ行為が労組法一条二項の正当な行為といえるか否か次に検討する。
(1) 本件争議行為の目的
前認定の通り国労は昭和四〇年一一月ごろから国鉄当局に対し賃上げを要求し、国鉄労働者の経済的地位の向上を目ざして団体交渉を続けていたが当局から満足すべき回答が得られなかつたので、団体交渉における労使の実質的対等を確保するため、本件四・二六ストの実施を決定し、その旨の指令を各地方本部に発し、これに基づき和歌山地区においては鳳電車区東和歌山支区所属の乗務員による同盟罷業(ストライキ)の体制がとられたのである。右事実によれば、本件争議行為が経済的要求実現のための団体交渉を成功させんとする目的のもとになされたものであることが明白であり、かかる目的は争議行為の目的としてまさに正当なものと認められる。
ところで本来同盟罷業行為が、使用者に対し、労働者が労働契約上負担する労務供給義務を集団的に統一して履行しないことを本質とし、憲法の保障する労働基本権に基づく正当な争議行為の典型的なものであるが、争議行為としてはこれに限られるものではなく右同盟罷業の実効を失わせないために補助的争議手段として「ピケツテイング」すなわち同盟罷業中に組合員中の争議脱落者の就労や、組合に加入しない労働者等が罷業者に代つて就労するときは同盟罷業の効果が減殺されるのを防ぐために組合員や支援者が立ち並んでこれらの者に対して争議の趣旨を訴えて飜意を求めるため同盟罷業へ参加協力の呼びかけの説得活動をなすことも同盟罷業に付随する重要な補助的争議行為として許されるものと解する。
かかる見地から被告人らの本件各ピケ行為の目的並びに態様等について次に項を追つて検討することとする。
(2) 東和歌山駅(被告人松田)関係
九二一夜行列車および二〇二始発電車前の各ピケツテイングについて(以下この二つのピケツテイングを併せて単に本件両ピケ行為という。)
(i) 本件両ピケ行為の目的
(イ) 鳳電車区東和歌山支区の乗務員全員(五五名)は、本件スト前の昭和四一年四月二〇日頃までにストライキ参加決意表明書の署名を終えていたところ、被告人松田および組合役員らは現実にこれらの乗務員を組合の統制下に掌握して本件ストライキを成功させるべく、スト前日の四月二五日の早朝から東和歌山駅のホームなどにおいて手分けをして右乗務員の獲得に奔走し、説得に応じた者を前記木村屋旅館に集結させて確保し、ストライキの準備体制を整えていたが、その結果スト当日(四月二六日)の午前一時ごろまでには、国労組合員であつて乗務員有資格者の市川秀幸、堀幸次、刀谷大二の三名の兼務助役を除く全乗務員を組合の統制下に入れることに成功した(右事実は前認定の通りである。)。被告人松田らは、このように本件スト直前まで前記乗務員の獲得に努めていたが、この行為はまさに乗務員の説得活動そのものであるといえる。
(ロ) ところで鳳電車区所属の乗務員はすべて国労組合員でありこれらの者が予定通りストライキに入れば阪和線を走る正規の運転資格者がなくなるので、争議脱落者かあるいは管理者による代替就労という事態が生じない限り、同線のジーゼル以外の電車等はすべて止まるという「ストライキ体制」にあつたところ(第一三回公判調書中の証人山口芳次および第一四回公判調書中の証人皆川楠太郎の各供述部分参照。)、前認定の通り所在不明の三名の兼務助役を獲得することができず、本件九二一夜行列車の「発機」が電気機関車であつて、所在不明の国労職員でもある兼務助役のうち右堀と刀谷とは電車運転士であり、電気機関車の運転資格者は市川のみであつた(第五回公判調書中の証人山路昭の供述部分参照。)ところから特に右市川秀幸の所在不明問題について紛糾し、被告人松田らは本件ピケ行為に入る直前ごろまで市川の所在およびその間の経緯について明らかにするよう当局に追及し同人の行方を懸命に捜していたが、これに対し、当局側は被告人らの真摯な追及に対して誠意ある回答をなさず最後まで言を左右にしてその所在等を明らかにしなかつた。
以上(イ)、(ロ)の各事実に後記両ピケ行為の態様をも併せて総合的に勘案すれば、被告人松田らが本件両ピケ行為をなすに至つた目的は、九二一列車には市川が、二〇二電車には堀又は刀谷のいずれかがそれぞれ乗務するものと予測し、「右市川らの就労により組合の団結が弱められ、本件ストライキの効果が減殺されるのを防止すること」に、換言すれば「本件ストライキにつき団結と統制を維持し、その実効を収めるために争議から脱落させられ或はするのでないかとの疑念が濃厚であつた市川らに対し就労しないよう説得すること」にあつたものと認め得られるのである。
ところでピケツテイングは、本来防衛的、受動的、かつ補助的な性格のものであるが、その行使、態様の正当性の限界を、常に、いささかでも実力的要素を帯びた有形力の行使を許さずとするいわゆる平和的ないし穏和な言論とかビラ等文書を用いた表意による説得のみに限ると解することは、妥当でないというよりは無意味であると考える。前述の「平和ないし穏和な説得」とはそれ自体なんらの違法性も可罰類型にも該らぬものを本質とし内容とするもののごとくであつて、そうだとすればこれは、労組法一条二項にいう「正当性」を判断するまでもなくその対象にも該らぬものであるといえよう。思うに正当な争議行為の補助手段であるピケ行為の正当性の限界は、それまでにいたつた経緯、時、場所、対象の状況などがさまざまであるのみならず相手方または第三者の態度行動に即応しかかる諸般の事情を考慮して判断さるべきものと考える。その方法としても説得の意思、即ち相手方に争議の趣旨を訴えてその飜意を求めるの意思を内蔵して行動するかぎりにおいては、文字どおり口頭又は文書でその旨を表現しなくとも挙措態度例えばスクラムを組みスト破り防止の断念を如何に強く望んでいるかを示すことも団結の示威による「広義の説得」として、いわゆる説得活動の範疇に属するものと解し、またその行使に際し、偶々派生した暴行脅迫に達しない程度の相手方に対する実力、威力の行使その他特定の犯罪構成要件に一応該当すると認められる行為についてそれが労組法一条一項の目的達成のための正当な争議行為であれば同条二項にいう正当性の範囲内のものとして、実質的違法性を阻却し刑事免責される場合があることを念頭において、以下本件につき順次判断する。
(証人青木宗也に対する当裁判所の44・11・24付尋問調書、証人佐藤昭夫に対する受命裁判官の尋問調書、札幌高等裁判所昭和四一年(う)第二〇二号同四二年四月二七日判決、高裁判例集二〇巻二号一九四頁参照。)
かかる見地に立ち本件両ピケ行為の場合をみてみるに、いずれの場合も既に発車態勢にあつた列車等の乗務員に対するものであり、かかる乗務員に向かつて単に口頭で説得のための停止を呼びかけてもその効果を期待しえないことは理の当然であり、所在不明の市川ら三名の兼務助役は助役ではあるものの国労組合員であつて予めスト参加決意表明書に署名もしていたもので、組合の統制に服すべき義務のある者であるところ、被告人松田らは前記列車等に市川らが争議脱落者として乗り込んでいるものとほぼ予測していたこと(現に当局は本件ストに備え、当初市川を乗務員の代替要員として確保する考えのもとに四月二五日が公休であつた同人を日勤に振り替えて勤務させていたものであるし、又同日午後九時すぎごろから休養時間に入る予定の堀を電車区支区内にある通常の休息場所で寝かせずに予めの指示通り当局側のスト対策本部で待機させていたものであるから、被告人松田らの前記予測は全く的はずれなものではなかつたといえる。第八回公判調書中の証人高崎盛登の供述部分参照。)、当局側の市川問題に対する回答が前認定の通り終始あいまいで誠意のないものであつたこと(前認定の通り当局は市川を組合から隔離する目的で別段所用もないのに業務命令を出して鳳電車区の本区へ出張させているが、この処置は組合側の争議権等を侵害している疑いもある。証人青木宗也に対する当裁判所の44・11・24付尋問調書参照。)などの点を併せて勘案すれば、列車等の前方に多数で立ち塞がるなどのいわゆるマス・ピケツテイングの方法によつてこれを一時停止させたとしても前記説得の手段として相当な範囲を越えるものとは認められない。
なお被告人松田らが両ピケ行為の際に列車等の乗務員に対して言語による説得をなした形跡が窺えないことは検察官の指摘するとおりである。しかし同被告人らの想定していた乗務員は前記の通り市川ら三名の兼務助役であるとともに組合員であつて本件ストライキの目的内容等を十分知悉しているのであるから、同被告人らにおいて乗務員に対し、改めて口頭で呼びかけなくても、組合員多数が線路内に立ち入り一時列車等を阻止するという行動をとることによつて、スト破り労働に厳しく抗議し且つ就労放棄を望んでいるかということを示す団結の示威による広義の意味での説得行為がなされたものと解せられるのである。従つて被告人松田らが前記列車等の乗務員に対し口頭で就労放棄を呼びかける等の行為をしなかつたからといつて右乗務員に対し全く説得がなされなかつたとかその意思がなかつたということはできないと考える。
ところで前認定の通り現実には前記列車等に非組合員である管理者が(九二一列車には阪助役が、二〇二電車には寺本助役が)乗車していたものであり被告人松田らの予測に反していたのでこの点について次に検討する(もつとも第六回公判調書中の証人北浦治男の供述部分および第一五回公判調書中の被告人松田の供述部分によれば、九二一列車の通過後二〇二電車前のピケ行為を開始するまでに被告人松田らにおいて、右九二一列車に市川らでなく管理者が乗つていたことを知つたことが窺える。そうとすれば二〇二電車にも同じく管理者が乗る可能性があるわけであるから、被告人松田もそのような場合のありうることを全く予測していなかつたとは思われない。右証人北浦の供述部分によれば、「同人は二〇二電車に管理者が乗るかも知れないと思つていた」ことが窺知できる。)。
一般にストライキの行われる際に、使用者側が自ら固有の業務に就くことは経営権に基くものであるからこれを終局的に阻止することはもちろんのこと平和的説得以上のピケツテイングをなすことも許されないと解するのであるが、使用者側が固有の業務でなく争議参加者の業務に就く場合すなわちいわゆる代置労働をする場合は実質的にはスト破り的色彩を帯びるものであるからこれに対するピケツテイングは単なる平和的説得にとどまらず、説得に際し必要且つ適切な範囲内で団結による示威による手段を用いることも許されるものと解すべきである。
かかる見地から本件の場合をみるのに、阪助役も寺本助役も元は運転業務に従事していたけれども本件スト当時はいずれも多年運転実務から離れて管理職に専念していたものであるところ、長年運転実務から離れていた者が線路見習などをすることなく直ちに運転に従事することは、まず安全運転という面からみて異例なことであつたこと(第三回公判調書中の証人阪克美、第九回公判調書中の証人大塚重信、第一四回公判調書中の証人皆川楠太郎の各供述部分および寺本光雄の41・4・30付員調参照。)。そうだとすると右阪ら二人の助役が前記列車等を運転することはその固有の業務ではなく代置労働というべきであり前述のとおり実質的にはスト破り的色彩を帯びているものといえる。従つて仮に被告人松田らが本件両ピケ行為をなす前に管理者である前記阪らの乗務を察知していたとしても、右就労の放棄を強く望んでいることを示すために一時線路内に立ち入つて団結の示威を示すことも広義の説得として許容されるものと解する。もちろん相手方が争議脱落者であろうと管理者であろうとその就労を終局的に阻止することは許されないが、組合員らの説得にもかかわらず相手方がなお就業する旨の積極的且つ明確な意思を示すまでは合理的な範囲内でなお説得を続けることも許されるものと思料する。
以上検討してきた通り被告人松田らの想定した乗務員が争議脱落者の市川らであろうと、管理者の阪らであろうと、本件両ピケ行為に至る経緯や前記諸事情を併せて勘案すれば、被告人松田らにおいて本件ストライキがその実効を失うのを防止するために乗務員に対し就労をしないよう説得すべき客観的必要性が認められるのであり、後述する本件両ピケ行為の態様等に照らせば、被告人松田らの本件ピケ行為をなすに至つた目的は前記の通り直接的には「乗務員の説得」の範疇にあつたものと認めるのが相当である。
ところで検察官は、被告人松田らが本件両ピケ行為をなすに至つた目的は、いずれも列車等の阻止すること自体にあり国鉄当局に打撃を与えることを企図していたもので、乗務員の説得を目的としていたものではないと主張し、山路昭、北浦治男、牛河春雄および被告人松田の各検察官調書をその主張に沿う証拠として挙げているので次に検討する。
まず九二一列車関係についてみるに、山路昭の41・6・6付検調の第三項に「松田副委員長は支区から出て来て支区前にいた私に対し『今まで支区長と話をしていたがどうも当局側の態度がにえきらん。これでは組合員が納得しないだろう。やむをえんから夜行をやる。少しやつて恰好をつけなければ仕方がない。だから組合員を紀勢の方に移動させてくれ』と申しました。夜行をやるというのは九二一の夜行列車を実力を用いて止めるということです」との旨の供述があり、北浦治男の41・5・31付検調の第一二項、牛河春雄の41・6・7付検調の第二項にも右同趣旨の供述があるほか、被告人松田の41・6・2付検調の第四項において「午前二時頃から私が組合員に挨拶をしてその後で最後に支区長に市川兼務助役の問題を正しました。それに対する支区長の回答がにえきらなかつたのでそこで初めてこれではどうしてもさけられない。夜行を実力で阻止するより他は仕方がないだろうと思つて夜行の阻止を決意したのです」との旨を同被告人も供述をしている。
次に二〇二電車関係についてみるに、山路の前記検調の第一〇、一一項に「九二一夜行列車が出た後、検修室に私と松田、北浦、牛河の四名がいたところ『一番電車を止めるといつて皆が騒いでいるぞ』とどなつてきた組合員があり、更に『電車が出るじやないか。やるのかやらんのかはつきりせえ。夜行の時は初めから逃げ腰だつたじやないか』と言つて騒ぐ者もいた。この状態を見た松田は私に『これじやどうもしようがないじやないか。もう一ぺんやらねば仕方がない。皆集めてくれ』と指示した。自分としてはもう一ぺんやるというのは九二一夜行列車を実力で止めた様にもう一回始発電車を実力で止めなければ仕方がないという意味だということはよく判りました」との旨の供述があり、北浦の前記検調の第一六項ないし一八項、牛河の前記検調の第七項ないし九項にも同趣旨の供述があるほか、被告人松田の41・5・20付検調の第九項において「私、山路、北浦、牛河の四人が検修室にいたところ『始発電車が出るがどうするんだ』と言つてきた組合員がいた。私は始発電車のことは全く忘れていたが、『発車までにもう一〇分もないといつて皆が騒いでいる』『幹部は列車を通すことばかり考えている』等と不満をぶちまける組合員がいたのでこのまま押えつけてしまつたら不満をもつている者が規律を乱してはね上つたことをやるかもしれん。組織的な統制のとれた行動をとらせるためには列車阻止もまたやむをえないと判断したのです」との旨を同被告人も供述をしている。
前掲の各検察官調書にいずれも「実力で止める」とか「阻止する」という表現をしたとの供述記載こそあれ、「乗務員の説得」という供述のないことは検察官のいうとおりであつてこれのみに着目すればまさに列車を阻止すること自体が被告人松田らの目的であつたかのような印象を受けるが、被告人松田の目的が威力による列車阻止のみを目的としたのか前述の争議の補助手段としての正当なピケの目的に出たものかは争議行為という一連の行為全体の流れを洞察して判定すべきものであつて流動する現象の或る一時点の行動、片言隻語を捉らえて軽々に断定すべきではない。被告人松田が本件スト実行の責任者としての使命を帯び来和して以来その対策に奔走し主として乗務員の説得に努めその掌握活動に従事してきたことは、第二の(三)、(3)、(4)および本項前段において認定説示したとおりであり、またピケの対象特に高速運転機関で発車態勢にある列車等の乗務員に対し、説得の実効を収める手段として状況上必要最少限度の実力的行動により停車せしめること或は線路内に多数で立ち入りマス・ピケツテイングを行うことも団結の示威による広義の説得といえる場合があると解すべきであることも既に説示したとおりである。従つて「実力で止める」とか「阻止する」という表現が用いられているからといつて説得の意思が全く無かつたと俄に断ずべきでない。そして前記各検察官調書では「いかなる目的で列車を阻止するのか」又は「列車を阻止して後どうするつもりだつたのか」との事後の行動の点についてまで深く掘りさげて質問されておらず若しその質問がなされたならば被告人松田において当法廷におけると同旨の弁解がなされたであろうことが同人のそれまでの行動からみて予想し得られるし又説得の意思など全くなかつたという供述は少しもなされていない。もつとも被告人松田の41・6・2付検調の第五項に「説得のために五、六〇〇名が線路に入つて行くということは考えられない」との旨の供述があるけれども、右の説得とは典型的な文字通りの意味における言葉による説得を指しているのではないかと解せられるし、そうとすれば右供述は「言葉で呼びかけるのに五、六〇〇名の者が線路に入る必要はない」という意味にとれるから、これをもつて態度による説得の意思さえもなかつたということはできない。
以上検討してきた通りであつて右の各検察官調書をとりあげ綜合考察しても説得の意思ありとの前記認定の妨げとはならないと解する。
(ii) 本件両ピケ行為の態様
本件両ピケ行為は前認定の通りいずれも数百名の組合員によつてなされたいわゆるマス・ピケツテイングであり列車等の運行を阻止する効果の大きなものであつたことは否めないところであるが、前記(i)項で既に検討した通り本件の場合いずれも団結の示威による広義の説得行為と解せられるものであり、単にピケ隊の人員が多いからといつてピケ行為の正当性の判断に影響を及ぼすものとは考えられずむしろ一部の少数の組合員のみが高速度交通機関である列車等の前に立ち塞がるが如きことは危険であるとともに期待し難いことである(証人佐藤昭夫に対する当裁判所の尋問調書参照)。
ところで二〇二電車前のピケ行為の際は立ち塞がるだけでなく組合員の中には坐り込む者もいたが、これは、参集後相当長時間を経過しており、本件ピケ行為時はあたかも深夜のことであるので疲れて坐り込む者もでてきたとみられるのであつて坐り込みの方法によりあくまで列車等の進行を阻止する目的でのピケツテイングがなされたものとは認められない。又右ピケ行為の際にピケ隊の先頭部分の四、五〇名位の者が「ワツシヨイ、ワツシヨイ」と掛け声をかけながら渦巻状になつて気勢をあげたり、そのうち「公安官に殴られた」と言つて騒ぐ組合員もでてきて一時緊迫した情勢になつたこともあつたがそれも数分で治まつた。そして本件両ピケツテイングの撤去の状況をみるに、公安職員らがピケ隊を押し出すなどして当局側の退去要求の意思が明確且つ強固にピケ隊に示されるや直ちに被告人松田の指示のもとに概ね自主的且つ平穏にピケの撤去がなされたことが認められる(田中繁雄、湯浅正男、松田正一の各検調、嶋村錦二の員調および第一五回公判調書中の被告人松田の供述部分参照。)。
ところで前認定の通り本件各ピケ行為のため九二一夜行列車は約三四分、二〇二始発電車は約二九分それぞれ遅延したのであるが、右各ピケ行為はいずれも数百名の集団による行動であるから退去に多少手間どるのもやむを得ないと思われるし、又九二一列車の遅延には部外の支援労働組合員の行動に起因する分も含まれていると考えられるのでこれらの点を勘案すれば、組合員らが現実に列車等に対抗してピケツテイングを行つていた時間はいずれも前記遅延時間以下であることは十分察知できる。
右のような形態の両ピケ行為が有形力の行使ないし実力的行動であることは疑いないが、この程度の行為を暴力の行使と解すべきでないことは前記(i)項で述べた通りであるところ、右両ピケ行為に際し暴力の行使や脅迫行為があつたとの証拠は全く見当らない。
以上検討してきた本件両ピケ行為の態様をみれば、いずれの場合も被告人松田らに列車等の運行を終局的に阻止する意図のなかつたことは明白であるといえる。
(iii) 本件両ピケ行為の社会に与えた影響
本件両ピケ行為の結果、前認定の通り九二一夜行列車は約三四分、二〇二始発電車は約二九分それぞれ定刻より遅延し、そのため国鉄並びにその利用者に迷惑を及ぼしたことは否定できない。しかし右列車等はいずれも早朝時のものであると共に、二〇二電車は東和歌山駅始発で当時乗客は約一〇名位にすぎなかつたものである。もつとも右九二一列車は名古屋始発の夜行で当時約一三五名の乗客が乗つていたというのであるからその影響は小さいとはいえないが、右夜行の時間帯を勘案すれば右程度の遅延が乗客に著しい迷惑を与えたものとは考えられない(終着の天王寺駅に遅くとも午前六時までに到着したものと推察される。第一三回公判調書中の証人北浦治男の供述部分参照。)。そして国労が本件四・二六ストを実施するということおよび天王寺鉄道管理局管内では阪和線を中心に半日ストが行われるということは新聞、テレビなどにより事前に社会一般に報道され、国鉄利用者等に本件ストライキの内容が予告されていたものであること(前掲同押号の五当面の闘争計画案の別紙一「四月行動予定表」、同押号九、大幅賃上げ獲得を中心とする四月決戦段階の闘いについての「指令2、3」並びに被告人松田の当公判廷(第二一回)における供述参照。)。これらの事実を併せて勘案すれば前記程度の各遅延をもつていまだ国民生活に重大な障害をもたらしたというに足らないと解する。
以上(i)ないし(iii)の各事実を併せて勘案すれば、被告人松田らのなした本件両ピケ行為はいずれも本件ストライキの補助的争議行為たる性格を失わず、ピケツテイングの正当性の限界を逸脱するものとは認められない。
(3) 一信(被告人間谷)関係
六一五三列車前のピケツテイングについて(以下単に本件ピケ行為という。)
(i) 本件ピケ行為の目的
(イ) 被告人間谷を責任者として多数の組合員が「一信」に出動集結した意義および目的は前認定の通りスト参加の電車区乗務員を激励支援すること、情勢如何によつては機関車等の乗務員の説得活動を行うこと、および当局を牽制し且つその勢力の一部を一信に向けさせて分散するといういわゆる陽動作戦を行うことなどにあつた。
(ロ) ところで本件スト当日(四月二六日)の午前三時頃被告人間谷は、相被告人松田から「東和歌山ではこれから当局の不当な行為に対して抗議行動を起こす。従つてその際に和歌山機関区の方から機関車が短絡線を通つて東和歌山駅の方へ入つてくると危険だから一信で出区の機関車乗務員の説得をしてくれ、説得するためには多少線路に入つて列車を止めるようなことがあつてもやむをえんだろう。」などとの旨の情報指示に接するや、これは必要があれば組合員を線路の中へ入れて機関車を止めたうえで説得せよと指示されたものと理解し、既に集結待機していた組合員に対し「これから出区の乗務員の説得に行くから自分についてきてくれ」との旨指示したこと(以上の事実は前認定の通りであるが、被告人間谷は右説得目的のあつたことについては検察官の取調べ段階から当公判廷に至るまで一貫してほぼ同様のことを述べているのである。)。
(ハ) 本件ストライキは、前認定の通り阪和線を中心とした電車区乗務員による乗務拒否を主眼とする同盟罷業であつて和歌山機関区の乗務員は本件スト指令の対象になつていなかつたが、右機関区所属の機関士の運転する列車は同じ阪和線を運行するわけであり且つ「一信」は出区並びに入区の機関車の出入口ともいえるところであつて東和歌山駅とは短絡線で結ばれているという重要な地点であるから、「和歌山機関区」ないし「一信」は本件ストライキ闘争の遂行上密接な連がりがあるといえるのであること(被告人間谷の当公判廷(第一八回)における供述および第一六回公判調書中の証人児玉辰雄の供述部分参照。)。
以上(イ)ないし(ハ)の各事実に後記の本件ピケ行為の態様をも併せて総合的に勘案すれば、被告人間谷らが本件ピケ行為をなすに至つた目的は、「争議行為中の東和歌山駅の方面へ「一信」から前記六一五三列車が運行して行くことは危険発生のおそれがあるのでそれを防ぐために右列車の乗務員崎山義行に就労放棄を呼びかけ本件ストライキに協力してくれるよう説得する」ことに、すなわち「本件ストライキの成功を企図し、東和歌山駅における争議行為に同調し支援を求めるため右崎山に対し就労しないよう説得する」ことにあつたものと認めるのが相当である。
ところで前記(2)の(i)で既に論述した通り、説得には言語によるものだけでなく挙措態度による説得というものも含まれると解すべきであるし又相手方の状況態度に応じ場合によつては説得の機会を確保するためにその手段として社会通念上相当と考えられる範囲において相手方を物理的に一時阻止することも許されるものと解する。
そうだとすると本件ピケ行為の場合も亦既に発車態勢にあつた六一五三列車の乗務員に対するものであるから、右乗務員に向かつて単に口頭で説得のための停止を呼びかけることはほとんどその効果を期待しえないこと、右列車の乗務員(崎山義行)は、同じ国労組合員であつて本件四・二六ストの目的内容等を事前に知つている者であること(第一七回公判調書中の証人崎山義行の供述参照。)。右崎山は和歌山機関区所属の乗務員であつて本件ストライキ参加の対象にはなつていないが前記のとおり東和歌山駅における争議行為に賛同し、援助を得るために右崎山に就労放棄を呼びかけ本件ストに協力してくれるよう説得する必要性が認められることなどの点を併せて勘案すれば、前記列車の前方に多数で立ち塞がるなどのいわゆるマス・ピケツテイングの方法によつてこれを一時停止させたとしても前記説得の手段として相当な範囲を逸脱するものとは認め難い。
なお被告人間谷らが本件ピケ行為の際に前記乗務員の崎山に対して言葉による説得をなした形跡は窺えないのでこの点について次に検討する。
被告人間谷の41・6・1付検調で「私は出区線路上に組合員を入れてすぐに乗務員を説得に行こうと思つたところ、機関車の横に当局の管理者以外に私服警察官がいるらしいことがわかつたので警察官のおるところで乗務員を説得するのは気おくれがした」との旨を供述し、同被告人が組合の役員として争議行為を指揮した経験の乏しいことなど(右事実につき同被告人の41・5・20付41・6・1付各検調参照。)も勘案すれば右供述は一応措信しうるものと思われるがしかしその時点で全く説得の意思を失つたものとまでは解せられない。
ところが前認定の通り組合員が出区線の線路上に立ち入つてまもなく県会議員村上六三ら議員団が六一五三列車付近にいた私服警察官の所へ走り寄り「警察が労働争議へ介入するとは何ごとか」などとの旨言つて激しく抗議を始め、右抗議交渉が意外に長びいて結局一時間余りも経過した。その間国鉄当局側は右交渉の状況を傍観し何ら適切な処置をとつた様子がみられないのみでなく右列車の発車時刻を過ぎた数分後に乗務員(崎山義行)から一旦渡していた通票を回収したこと。一方被告人間谷は議員団とピケ隊との間を往復して右交渉の成り行きを見守つていたこと(中村治の41・6・3付検調参照。)。
以上の事実を併せ勘案すれば、被告人間谷は、当初乗務員に対し説得の意思を有していて且つ現実に説得に着手せんとしたが、前記の予期せざる諸事態の発生により当初の切迫した説得の必要性が一時消滅したものとして現実の説得行為をなすまでには至らなかつたものと解するのが相当である。
従つて口頭による説得行為がなされなかつたことをもつて直ちに被告人間谷に説得の目的がなかつたものということはできないと考えられる。
(ii) 本件ピケ行為の態様
本件ピケ行為は前認定の通り約三〇〇名の組合員によつてなされたいわゆる「マス・ピケツテイング」であり列車の運行を阻止する効果の大きなものであつたことは否めないところであるが、前記(i)項で既に検討した通り本件の場合もまた説得のための手段として容認されるべきものと解すべきであり、単にピケ隊の人員が多いからといつてピケ行為の正当性の判断に影響を及ぼすものとは考えられないことは前記東和歌山駅における各ピケ行為について述べたところ((2)の(ii))と同旨である。
ところで右ピケ行為の際に組合員の中には線路上に立ち塞がるだけでなく坐り込む者もいたが、これは集合後長時間を経ており時間的に深夜のことであるので疲れて坐り込む者もでてきたとみられるのであつて特に坐り込みの方法によるあくまで列車運行の阻止それ自体を企てるピケツテイングがなされたものとは認められないことも前記のピケと同断である(有本芳造の検調参照。)。そして本件ピケツテイングの撤去の状況をみるに、警官隊がピケ隊を押し出しにかかり実力排除に着手するや被告人間谷の指示のもとに直ちに何ら抵抗することなく自主的且つ平穏にピケの撤去がなされたことが認められる(山田正己の検調参照。)。
ところで前認定の通り本件ピケ行為のため六一五三列車は約一時間二〇分程「一信」の発車が遅れたものであるから、この点のみを重視すると右ピケ行為が相当長時間に亘つて頑強になされたものとのそしりを免れないでもないが、しかし既に前記(i)項で検討した通りこのように発車が遅れた原因の一つは議員団の警察に対する抗議という被告人間谷らの予期しなかつた事態が発生し且つそれがもつれて予想外に長びいたことにあるとみられるのである。そしてその間組合員らは議員団と警察との交渉の成り行きを見守りつつ線路上に待機していたものと認められるのであるから、継続時間が長かつたことだけを捉えて質的に強固なピケ行為がなされたものと断定し難いのである。
右のような形態のピケ行為が有形力の行使ないし実力的行動であることは疑いないが、この程度の行為を暴力の行使と解すべきでないことは前記東和歌山駅の各ピケ行為について述べたところ((2)の(ii))と同様であるところ、六一五三列車前の本件ピケ行為に際し暴力の行使や脅迫行為があつたとの証拠は全く見当らない。
以上検討してきた本件ピケ行為の態様をみれば、被告人間谷らに前記六一五三列車の運行を終局的に阻止する意図のなかつたことは明白であるといえる。
(iii) 本件ピケ行為の社会に与えた影響
本件ピケ行為の結果、前認定のとおり六一五三列車は約一時間二〇分発車が遅れ、更に右列車の遅延が他の列車ダイヤに多少の影響を与えたものと思われる(天王寺鉄道管理局長作成の「四・二六ストによる和歌山地区の列車影響について」と題する書面と添付の図面参照。)。従つて右行為が国鉄並びにその利用者に迷惑を及ぼしたことは否定できない。しかし右六一五三列車は早朝時のものであるうえ東和歌山駅で貨物列車を牽引する予定の「単行機関車」であつたことであるし、又前記列車ダイヤの乱れも、通常ストライキに当然伴うところの大量の列車の運休等に比較してさほど著しいものとは認められない(後者の事実につき前記証拠と証人大谷隆に対する受命裁判官の尋問調書参照。)。右事実に本件ストライキが事前に予告されていた点(右は前記(2)の(iii)で認定した通りである。)を併せて勘案すれば前記程度の遅延をもつていまだ国民生活に重大な障害をもたらしたということはできないと解する。
以上(i)ないし(iii)の各事実を併せて勘案すれば被告人間谷らのなした前記六一五三列車前の本件ピケ行為も同じく本件ストライキの補助的争議行為たる性格を失わず、ピケツテイングの正当性の限界を逸脱するものとは認められない。
以上検討判断してきたように、本件争議行為は経済的目的のために行なわれたものであつて、政治的目的のために行なわれたものではないうえ、被告人らの本件各ピケ行為はその目的、態様等に照らせばいずれも許容されるべき行為の限界を越えておらず又その社会一般に及ぼした影響も重大でないことなど諸般の事情を総合して判断すれば、被告人らの本件各ピケ行為はいずれも正当な争議行為として労組法一条二項本文の適用を受け違法性を阻却さるべきものというべきである。
第四、結論
以上認定したとおり被告人ら両名の各所為はいずれも刑法二三四条に該当するが、同法三五条の正当行為として違法性を阻却されるものと認められるので刑事訴訟法三三六条前段により被告人らに対しいずれも無罪の言渡をすることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(組合員目録略)